ブログ「子育て科学日記」

悪いけどAIは信用できない。

皆さんこんにちは。

最近滞りがちなブログですが、細々~とは続けますので、どうかお付き合いくださいませ(汗)。昨年の江戸検1級合格に続き、今年は公認心理師の試験も受けて(なんとか合格しました!)勉強づいている成田ですが、そんな中、来年はさらに「演劇デビュー!」をする予定であります。

「あの時、アクアリウムで」

よろしければぜひいらっしゃってくださいませ。全くのど素人ながらオーディションに合格させてもらい(!)、総勢17名で週2回の歌や踊りや演技の練習にいそしんでおります。成田は本筋とは全く関係のない(笑)うるさい主婦トリオその1の役です。笑ってやってください!

ま、そんなわけで今年は、勉強のために演劇・ミュージカル等生の舞台に積極的に足を運んでいるわけですが、いやいや、本当に素晴らしいですね。映画やDVDで鑑賞するのももちろん好きですし、今頃は家でちょっとした時間ができたときに手軽にアマゾンなんかで映画がダウンロードできるサービスがあって、本当に便利だと思うのですが。。。

でも生は、やっぱ、全然全く違います。音が、声が、飛び出てくるのです。それだけでなくて、たぶん体温や汗も。自分でもほんの少しだけ演じる側に回ってみて、なんてストイックな、なんて根性のいる仕事かと改めて思います。お客さんの前で、身一つで、対価をもらうパフォーマンスを行うって。私たちのやってる知識に裏付けされた講演会なんかとは全く一線を画しているのだな、と。

歌の先生も演技の先生もおっしゃいます。「パフォーマンスは体だ」と。私なんか講演会、頭でやってましたもんね。反省してこの頃は「体幹」をしっかり支えてより届く声を心がけてます。そうしたら、マイクを通じると「うるさすぎ」なんてこともあるようで、スタッフの方が講演中に「声でかっ!音量下げて!」なんて言ってた、という話を後で聞くようになりました(笑)。

昨日はフィラデルフィア管弦楽団のコンサートを聴きに行きました。サントリーホール。私の大好きなチャイコフスキーのバイオリン協奏曲が演目にあったからですが、サントリーホール、もちろん皆さんご存じと思いますが、舞台が真ん中にあって四方を客席に囲まれている構造。音が、ホールの広い天井に昇って昇って、まじりあう。むしろ、2演目目のマーラーの交響曲第5番でその真価が発揮された気がします。不協和音の金管楽器が普通のホールだとやや耳にきつくて、なかなか聞きづらい印象を持っていたマーラーなのですが、サントリーホールでは、実に柔らかく弦楽器と溶け合い、でも主張しあい、素晴らしいハーモニーが奏でられておりました。はじめてマーラーを素敵!と思えました!! ヤニック・ゼネ=セガンさんの指揮がまた美しく情熱的で、彼を見ているだけですべてのオーケストレーションが視覚化されているというか、あ~指揮者って演劇でいうところの演出家なのね、普通は舞台に現れない演出家がこれ以上ない良いポジションで自己主張するのがオーケストラなのね、と妙に納得。(だっていつも演奏会聴きに行ったとき、誰も指揮者を見てないなあって気になってたんです。「演出家」だと思えば、それまでの練習で十分演出の意図が伝わってるから、今さら本番中に演出家の指示を仰がなくても進行するわけだ!納得)

申し訳ない。時代に逆行してしまいますが、私は悪いけど、AIは信用できません。昨日のあの時間と空間は、AIには作れないです。否定はしないし、利用する場面はあると思うけど、AIを使わない人間の活動をもっと重視していく世の中にしたいです。

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