ブログ「子育て科学日記」

ピンチこそ子どもが伸びるチャンスです

猛威を振るったインフルエンザも落ち着いてきたようですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

先日、大学で実験を行った際にも、参加者がインフルエンザで当日欠席になったり、「先々週息子がかかって、先週は私と夫がかかって…悲惨でした~」なんていうお話しがたくさん聞かれたりしました。
そんな話を聞いていると、特に私などはほぼほぼ一人で子育てをしておりましたから、子どもが病気になったときの大変さはよく思い出されます。

娘が小学生のころは、ウイルス性胃腸炎と思われる感染症にかかって、げろげろ吐いている娘の寝床の周りに新聞紙を敷き詰め、たくさんのゲロ入れを置いて、ポカリスエットを置いて、言い含めて出かけたこともありますし、39℃の熱でうんうん言っている娘に保冷剤を巻き付け、携帯でバイタルチェックしながら仕事に出たこともあります。
こう書くと、子どもがかわいそう的発想をされる方がたくさんいらっしゃるのでしょうが、私はいつも「ピンチこそ子どもが伸びるチャンス!」と信じていました。

まずは、「今の自分の状態をモニターすること(体温や食欲など自覚できる身体の状態をきちんと報告できること=自己モニター力)の大切さ」を子どもに教えるには、こういうときが一番のチャンスです。
もちろん私は小児科医なので、子どもの状態がどの程度なのか客観的に把握できる力があることも大きかったとは思います。
でもよく考えれば、例えば12歳の子どもなら、あと5-6年もすれば、大学などに入って自分ひとりで暮らす生活形態になるかもしれないのです。そんなとき、自分の状態をある程度把握できる力がなければ、「今日は大事をとって大学を休んで家でゆっくり寝ておこう」と判断することができないわけで、それが少しずつ無理を重ねさせてしまい、気づいたら重症の慢性疾患を発症していたりしかねないわけで。もっとひどい場合は、精神状態の悪化を招いてしまいかねないわけで。

だからこそ、そうそうない病気の状態のときこそ、子どもに自分の身体状況とじっくり向き合わせるための本当にまたとないチャンスだと思っていました。
小学生のころこそ、1年に最低2-3回は風邪をひいてきて、2-3年に一回くらいはインフルにもかかっていた娘ですが、中学以降は、全く病気らしい病気をしなくなりました。その代わり、「なんか昨日からのどが痛いし、咳がちょっと出る気がする。今日はたいした授業もないけど明日は絶対に出なきゃいけない実験があるから、今日は学校休む」と自分で宣言して時折学校を休んでました(笑)。ええ、はた目には全く無症状に見えましたが。

次に、これもとても大事だと私が考えていたのが、こういうときこそが「なぜ、お母さんは今日、病気のあなたを置いて仕事に出かけなければならないのか」を話すチャンスだということです。
人間が社会に出て働く、ということは代償として金銭を得るためだけではない、と私は考えています。お互いに必要とし、される信頼関係が構築されてこその人間社会だと思っています。

ですから、私は娘が物心ついたときから、「あなたが五体満足で特に特別の支援を必要としない状態で生まれられたことは、何物にも代えがたい幸せである。がしかし、世の中にはそういう状態が得られなくて、なんらかの手助けが必要な人がたくさんいる。お母さんはあなたのことが大切ではあるが、そういう困っている人たちの手助けやお世話の方をまずは優先しなければならない仕事をしている。さらに言うなら、うちの家にいる言葉がしゃべれない犬たちが困っているなら、そちらのお世話が優先される。なので、あなたはその次の順番である。」というようなことを常々話してきました。

もちろん娘がうんうん唸っている状態を見ながら置いて家を出るのは、正直胸が引き裂かれる思いです。でも、「どうしてもお母さんが人間として社会を裏切ることができない」仕事だけは行かなければならないことを毅然と伝え、「何時から何時まで、一人で頑張ってね」と伝えて家を出ていました。その代わり、私がいなくてもなんとかなる仕事は周囲にお詫びをしまくってなんとかしていました。たくさんの人にお世話になったことは、もちろん娘に伝えて、一緒にお礼を言わせたりしました。
そして、帰宅したときには「一人で置いていってごめんね、かわいそうだったね」ではなく「一人で水分補給したり、汗を拭きとったり体温を測ったりして自己管理ができて、えらい!だからちゃんとお母さんは仕事ができたよ!サンキュ!」と伝えました。
現在、びっくりするほど今の娘にネガティブな記憶はないようで、「タミフルが飲めなかったとき、お母さんチョコアイスにまぜて飲ませてくれたよねえ」とか「お母さんの点滴下手だったなあ(笑)」とかいう思い出しか出てきません。

子どもを、健康で社会に役立つ人間に育て上げるためには、ピンチの時の大人の対応は大きくモノを言うような気がします。

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