ブログ「子育て科学日記」

ラッキー、拾いました♪

こんにちは。大阪の講演会が無事終了し、新幹線スイーツとコーヒーで、まったり幸せな気持ちになっている成田です。

基本、色んなところにラッキー・ハッピーのツボがあって、ちょっとしたことで気持ちが上がります。新幹線から富士山が見える、とか、あてがわれたホテルの部屋が、エレベーターから遠すぎず近すぎず便利で静か、とか、飛び乗った電車から降りた時にちょうど下りのエスカレーターがあった!とか。

でも、先週はかなり大きめのラッキーにぶち当たりました。
翌日福井県での講演会があったので、京都に泊まったのですが、京都駅前でなにげに入った百貨店で、なにげに見たエスカレーター脇のポスターに見覚えが……
「あーっ!河鍋暁斎だー!」
そう、数ヵ月前に渋谷でやってた展覧会。
見たくて仕方がなかったのですが、どうしてもスケジュールが折り合わず、断念した河鍋暁斎展が、今京都に来ている!

こういう場合、きっとどこかに落とし穴があって、「残念だったね、チャンチャン♪」になりがちなので、私はそこから、極めて慎重に事態を吟味しました。

1、開催日について。
こういうポスターの場合、「これから開かれる企画」の宣伝だったりする場合がある。
→なんと、明日までの開催!

2、開催時間について。
本日はすでに閉館間際で行けない。
→が、明日、幸いにも11時半の電車に乗れば良いので、それまでに見ることができる!

3、開催場所について。
こういうポスターの場合、実は開催場所がここではなく遠い美術館かもしれない。そうなると、電車の時間までに戻って来ることが不可能になるかも…
→が、なんとなんと幸いなことに、やはりこの百貨店の中に美術館はある!

こういうのを年の功というのでしょうか(笑)、私もずいぶん疑り深く、否、注意深くなったものです。ここまで検証して本当に「超ウルトララッキー」の実感がふつふつ湧いて来たのでした。
かくて私は、思いもかけずあきらめていた河鍋暁斎展を見れるチャンスを絶対逃すまい、と翌朝は百貨店開店の随分前からガラス扉の前で張り付いてました。

天保2年に生まれ、幕末から明治にかけて生きた暁斎は、実に多彩な作品群を残しています。
狩野派の影響を受けた精緻な生物画があると思うと、子どもの頃に弟子入りしていた歌川国芳ばりのネコ画があり、また一方では得度した後に多く残した宗教画もあり…

でも、その中で私が度肝を抜かれたのは、なんといっても、イエス・キリストの磔の絵です。
西洋の宗教画ではお馴染みの、ゴルゴダの丘でキリストが十字架にかけられているあのシーンを、水墨画のタッチであっさりと、無背景で描いています。
キリスト教禁止令が解かれ、価値観が一変する時代の真っ只中を生きた暁斎ならではの題材だと思います。
ですが、その絵で思わず笑ってしまうのは、そのキリストの回りを色んな、日本古来信じられて来た神様達が取り囲んでいることなんです。
布袋さんや毘沙門天やお釈迦様まで?
名前は良くわかりませんが、とにかくわらわらたくさんの神様達が磔にされてるキリストの足元に集まって何やらごしょごしょ話してる…ような様子。心なしかちょっと嬉しそうな表情にも見えたりして。

な、なんですか~この絵は!?とひっくり返りそうになりましたが、考えてみれば日本人は、元々たくさんの神様たちを平気で同居させてきた人種。
江戸時代だって…家に神棚祭りつつ、富士講やったり初詣行ったりしてたわけで。
禁止が解ければ、「じゃ、キリストさんもどーぞ」って許容できるのが、日本人の良いところなんですよね。
他にも、閻魔様と一休さんが一緒に踊り遊ぶ?!奇っ怪な絵とかもあって、なんともほのぼの、おおらかな明治の気風が伝わる、愉快な展覧会でした。

そうなんです。
現代日本人が、12月25日にクリスマスケーキを食べたと思ったら1週間後には神社で柏手打ってるのは、さほどびっくりすることではないのです。
むしろ、様々な文化を抵抗なく自分の中に取り入れることで、器用に新しいものを生み出す能力こそ、日本人の素晴らしさなのかもしれませんね。

本当にラッキーな拾い物をした、先週の京都でした♪

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