ブログ「子育て科学日記」

マニュアルを超えた接客

こんにちは。

昨日某社会福祉法人の方たちと一緒に、就労移行支援事業B型事業がやってるイタリアンレストラン(@石岡市)でランチをいただきました。就労移行支援事業とは、障害のある一般就労を目指す方たちが、作業等を行いながら、就労に向けて準備をしていく場です。
事業の主体は主に畑で野菜を作る、ということだそうで、そこで取れた野菜をふんだんに使ったペペロンチーノも、朝積みのイチゴを使ったデザートも美味しかったです!

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建物は広々としていて、茨城県の木材をふんだんに使って天井高く作られています。
ほかのお客さんもたくさんいらしたのですが、席が離れて配置されているので、ただ、和やかなしゃべり声のトーンが柔らかく天井に広がっているだけで、まったくうるさくなく、むしろ心地よいBGMなのです。
本当に、ゆったりくつろげる癒しの空間です。

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私が、このお店でごはんを頂きながら一番気づいたこと、それはカップやお皿を置くウエイターさんの「そうっと」さです。
普段、あちこちに出張していて、それなりの格式高いホテルに滞在させていただいております。
ホテル内のレストランの従業員の方たちはそれこそパリッとした服装で姿勢もよい。
いちいちなんでも凝ってて美しいお料理がたくさんです。
言葉遣いもしっかり丁寧、はっきりとしゃべります。
が、お皿を運んでくるときの「置き方」は、絶対に昨日のレストランのウエイターさんの勝ちです!

「気を付けて」「丁寧に」「こころを込めて」
通常働く人たちは、知性を用いてこの言葉を言葉通りに理解して、接客をするのでしょう。
でも、そうでない人たちにとっては、この抽象的な指示は、この上なく困難なハードルなのだと思います。
だから、一生懸命に五感全部をフル活動させてそのことを「感じよう」とする。
一般の人にとっては「マニュアル」であることも、そうでない人たちにとっては一種「感覚・センス」であり、もっと言えば「芸術」である。

ちょうど、今熱心に再読しているオリバー・サックスの本「妻を帽子と間違えた男」に、典型的な双子の話が書いてありました。
その双子は言葉も持たず、簡単な算数すら理解できなかったにもかかわらず、素数が「見える」「気持ち良いと感じられる」ので、それを双子の間で言い合って遊んでいた、というのです。20桁の素数が「見える」のは、理論的な数学としての興味ではなく、ただただ彼らにとって「心地よい感覚」を引き起こす数字だったから、という話です。

きっと昨日のウエイターの方も、自分なりのセンスで「心地よい」接客を探し出しているのだと思います。
よく考えてみれば、接客ってつまりは「人が心地よくなるための接し方」ですから本来は知性に基づくマニュアルではなく、「感覚・センス」ですものね。
彼にとっては、お皿を置くスピードがあれより早いと「心地よくない」とか、置いた時の音があれより大きいと「しっくりこない」とかあるのではないかな、と想像します。注文を取る声のトーンやメモを取る手つき一つ一つが「感覚的に」行われているように思えました。
決しておどおどしているとか、びくびくしているのではありません。彼なりの美学がそこにある気がしたのです。
それが、接客され馴れてる私からすると、とても新鮮でしたし、私自身にも「感覚的な接客」をもっと意識しなきゃって反省になりました。

私の知っている自閉の方にも、「今日が何の日か」「今日生まれの芸能人がだれか」「○年後の○月○日は何曜日か」が見える方がいらっしゃいます。
でも、この10年くらいで、かなりパニックが減って穏やかになり、社会生活ができるようになってくるのと反比例するように、この方のサバン的兆候はどんどん薄れてきていて、最近はときどき曜日を間違えたり(笑)してます。(オリバー・サックスの本にも同じような例が載ってます)

いわゆる私たちの理解する「知性」とは全く異なる「感覚・センス」で見ることができる、こういった特性を、消すことなくそのまま社会に生かせる方法を模索することが、今マニュアル化されすぎてる社会をゆり戻す力になるし、気づきになるなあ、と思った次第です。

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