誰かが誰かのために
先日、いつもお世話になっているペットトリマーのMお姉さんのところに用事があって行った時、たまたま一緒にいた娘も連れだって行きました。
ブリーダーもされているMお姉さんのお店には、いつも小型犬がたくさんいて、遊んでいると時間を忘れます。
ひとしきり遊んでの帰り道、娘が言いました。
「小学生の時には、夏休みは毎日来てたなあここ。懐かしいなあ~朝から宿題持ってきて勉強して、飽きたら犬と遊んで、お姉さんのお仕事のお手伝いして、お昼になったらお弁当食べてさあ~」
………!
そうだった!!
私、すっかり忘れていたけど、そうだった!!
学童を利用してないわが子を夏休みどうやって過ごさせるか、低学年の頃は色々頭を悩ませていました。
夫のいる三重県に短期留学(?)させたり、保育園に行かせて頂いたり色々な居場所を工面して私の不在時間を埋めるべく過ごさせていました。
そんな様子を見かねてMお姉さんが声を掛けて下さったのです。
元々Mお姉さんのお母様にシッターをお願いしていた時期もあり、娘も大好きな母娘、さらに大好きな犬たちがいつもそばにいる♪
娘の強い希望もあり、親切なお言葉に甘えて、夏休みにすっかりお世話になっていたのでした。
思い起こしてみれば、お隣近所のお友だちのお宅に、いつもいつも預かって頂いたり泊めて頂いたりした思い出が芋づる式に甦り、、足りない手を、たくさんの方々が繋いで下さったお陰でこの子は大きくなれたんだなあ、と改めて感謝しました。
……と書くと、いかにも我が娘、今は自力で歩んでるように聞こえるかもしれませんが、何の何の、今でも大雨が降ったと言ってはお友だちのお母様に送って頂いたり泊めて頂いたり、バスなき早朝に出発する!母もいない!!と言ってはうちのスタッフに甘えたり、その他色んな方の親切に支えられっぱなしです。
すべからくこういう時には私がavailableでない訳で、とても歯がゆくあー申し訳ない、という気持ちで一杯になるわけです。大人の社会人たる私としては、できる限り自分と自分の家族のことは、自力で落とし前、つけたいですもん。
でも、実は娘にとってはこうやって色んな方に接することが、非日常の脳の刺激となり、親だけでは教えきれないたくさんの言葉や知恵や行動を学んで来るわけで…やはり人は出来るだけたくさんの「親以外の」人と接することで育つ、と言う説には強く共感します。
ということで、私も、出来るときには誰かにどんどん同じことをしていくことが最も大事なことなんだろうと、今週は二人の11才の少女たちをホストファミリーとして受け入れました。ポルトガルとカナダから来た小学生たち、とーっても可愛かったです。
彼女たちが通過したこのひとときの経験が、将来大人に成熟していくときの考え方の一片にでもなってくれれば、これ以上ない喜びです。
誰かが誰かのために何かをすることで人は繋がっていく。
少女たちの滞在期間中、仕事がバンバン入ってて全くお世話できない私に代わって、布団の用意やお迎え、遊びに連れて行く計画と実行まで、すべてを一人で仕切った娘にもその事が実感できていればいいなあ、と思います。