15の魂
皆様おはようございます。今週末も休みなく働く成田です。
昨日は二子玉川で、中曽根陽子さん主宰のマザクエことMother Questで3時間の講演をさせて頂きました。
いつも大学やアクシスでワークや授業をやっているので緊張はしないのですが、お客様の質により反応が変わるので空気を素早く読んで対応するのがちょっと大変です。
でも昨日のお客様は意識がとても高く積極的で、本当にワークもやり易かったです。皆様、ありがとうございました。
ところで先日、運転しながら色々考え事をしていて、ふと、自分の思考回路が15才の頃と全く変わっていないことに気づき愕然としました。
音楽も本も映画も、すべて15才の時に好きになった物を私は今でも全部同じように宝物としています。
そしてそれから35年以上経って、今、あ、これいいな!と感じるものはほぼすべて15才の私の感性とピタリ繋がっていて、ビックリするのです。
例えば15才の私は、グリースというミュージカル映画に傾倒してました。ビデオなんて当時は家庭にはなかったので、映画のパンフレットを覚えるほど読み込み、サントラのレコードを文字通り擦りきれるほど聴いたものでした。オリビア・ニュートンジョンが映画の中で着てたファッションが素敵で、学校が私服だったこともあり通学に選ぶ服は60年代風お嬢様ファッション、の廉価版(笑)。
でも恐ろしいなと自分でも思うのが、気づくと今でも自然に選ぶ歌、映画、服がどこかグリースにつながる。今でも、ミュージカル映画、音楽関係の映画は大好物で、今年に入ってからだけでも何本観たか。「セッション」「ピッチ・パーフェクト」共に面白かったですよ!
それ以外にも食べ物や読む本、お金の使い方や勉強の仕方、好みのタイプまで(笑)、結局15才の感性のまま52才の私がいるわけなのです。
そう思うと、当時私のすべての行動、趣味、考え方を頭ごなしに否定していた私の両親、特に母の努力はかなり無駄だったことがわかります。
「くだらない音楽」「品のない服装」「ろくでもない人」私が好きになるものはすべてこのような言葉でこき下ろして、決して耳や目を傾けようとせず、「もっと上級・上品なものを選びなさい」と言われ続けたけど、こういうものを好きでい続けて、それでも私はそれなりに、今は上級・上品な部類に育ちあがったと思っています。世界のどんな高級なパーティーでもそれなりに着飾り、ふるまえると思うし、英語だけではあるけど、どんな人とだってコミュニケーションを取れる自信があります。
むしろ15歳の時に作られた自分が本当に好きだと思う価値観と信念を曲げずに持ち続けることで、それを芯として巻き上がってきた知識と教養があるから、ぶれない軸のある私が出来上がったと思うのです。親に迎合して自分の好きなものを曲げてしまっていたら、きっと今の私はあり得ないと思います。
そう思うと、15歳恐るべし、と思えませんか?
ちょうど脳の育ちにおいても15歳は最終段階「こころの脳」が完成するころです。
この頃にその人の脳は何を美しいと感じ、何を好むか、これが一生のぶれない軸になるのだと考えると、15歳の感性を大人はもっと大切に尊重するべきだと思います。
ちなみにうちの娘は15歳になったとき、何があっても譲れない強さで「レ・ミゼラブル」が好きでした。
私とはだいぶ芯が違う・・・(笑)ので、将来これを持ち続ける彼女が今後ここにどんな知識と教養を巻きつけて大人になるのか、楽しみです。