「ご近所」という社会
皆さんはご近所付き合いをされていますか?
良く言われることですが、最近はご近所付き合いをしない人たちも増えているようで、外来などでも「隣の人とは話したことがないので・・」とか「マンションに誰が住んでいるのか全く知らない」とかいう方がとても多いと感じます。
そして一方で、ご近所との大きないさかいやトラブルに巻き込まれている方もとても多いのに驚きます。
子ども同志の喧嘩が訴訟問題に発展したり、ピアノの騒音問題から引っ越しを余儀なくされたりというような、本来安定して安心するためにある「暮らし」が脅かされている現状に震撼とさせられます。
生活しているだけでストレスがたまっていく、というのは想像するだけでもつらいことですよね。
人間は社会性のある動物なので、元来こんな大きなトラブルに発展する前に回避する能力があるはずなのに、どうしてこんなにもうまくいかないのでしょう。
家族という単位を重視しすぎて、家族の中だけですべてを解決する、抱え込むという風潮が年々高まっているように感じます。
でも元来、誰もが他人に迷惑をかけずに生きられないんです。
私だって、仕事をしつつ子どもを育て、さらに犬を飼いながら生活していると、たくさんの、自分では解決できないトラブルを経験します。
子どもが公園の花壇の花を引っこ抜いちゃった、とか散歩中の綱が切れて近所の家の庭に犬が逃げ込んでしまった、とか数えきれないくらいの避けがたいトラブルが次々起こりますが、「まあまあ~仕方ないよね、お互い様」と言ってもらえ、言ってあげられる関係性が地域にあるので、本当に楽です。ありがたいです。
私の家のある地域は、昔から住んでいらっしゃる方と最近家を建てて越してきた方が混在している地域なのですが、ごく自然に溶け合ってとても良い関係が築けています。
到来物や余った農作物があると向こう三軒両隣におすそ分けを配る文化が根付いていて、それはこのあたりに住む子どもたちの大事なお仕事の一つです。
うちの子も、3-4歳のころから、箱でいただいたリンゴなんかをぱっぱっと私が紙袋に分けていくそばから「行ってきま~す」と指示されることもなく近所に配りに行くことが当たり前です。
昔からの住民と新しく越してきた住民の意識や考え方が違うのも当然のことですが、そんな違いさえもゆるやかにまとめてしまうのが、「ご近所」という社会なのではないでしょうか。
先日、「くちづけ」という映画を観ました。
大変重いテーマに取り組んだ映画です。
観終わったあと、救われないやりきれない思いで胸がいっぱいになりました。
今の日本の多くの国民の「ご近所」の捉え方を端的に表しているし、さらに障害のある人を包括した「ご近所」を信じることができない主人公の気持ちも痛いほどわかります。
でも、だからこそ今、子どもたちの「ご近所付き合い」育てを、大人がしっかりリードしなければならないと思います。
小さい時からご近所という社会に子どもたちがしっかり触れ合い、溶け込むことで色々な今の社会問題は溶融していくのではないかな、と考えます。
ちなみに、この映画とテーマが酷似している「海洋天堂」(中国)では、ラストがかなり違います。
もしかすると、中国の方がまだまだ「ご近所」という社会が健在なのではないかな、と私は思っています。
うちの場合、子どもが大きくなった今は、子ども自身が地域の社会の一員になりつつあるようで、私よりよっぽどご近所の情報通です(笑)。
「○さんちの犬はもう16歳になってこの間心臓悪くして手術したんだって」とか「○ちゃんももう小学校4年生なんだよ。コーラス大会でピアノの伴奏に選ばれたんだって」「○さんちのおばあさん、犬の散歩中に引っ張られて転んでひざをけがしちゃったんだって。大変だねえ」「いつもバスで出会う特別支援学校の子、最初は大声出してたけど、最近はおとなしく乗っていられるようになったんだよ」などと言うのを聞いていると、「ご近所」っておけいこ事より、塾より圧倒的に子どもを育ててくれる刺激なんじゃないかな、と思います。