ブログ「子育て科学日記」

子ども部屋のない家

突然ですが、うちの家には子ども部屋がありません。
そもそも、部屋がほとんどありません。
「下」と「上」があるだけです。
「下」は家族3人分の机、ソファ、未だに地デジ化されてない分厚いテレビ、本棚があり絨毯が敷いてあります。
そこから階段が上に伸びて「上」につながります。
「上」にはキッチンとダイニングとピアノを置いているところがありますが、壁はありません。
一か所だけ区切られてそこが「寝る部屋」です。
実はこれはアメリカに住んでいたとき、とても気に入って購入したコンドミニアムの構造そのものなんです。
絨毯の色まで同じにしました。
10年以上住んでいますが、延べ床面積が狭いわりに、たくさんのお客さんを呼んでパーティーをすることができて、家族全員大好きなおうちです。

最初は設計士さんがこの二階に子ども部屋を設計していてくれたのですが、もしそこに壁ができると家から筑波山が見えなくなる!ということで、あっという間になしになりました(笑)。
皆さんは「娘さん、かわいそう」と思われますか?はい、良く言われます(笑)。
でもなぜか今、娘は何の不満もありません。一時期はぶうぶう言っていましたが、今は「自分専用の個室があり色々区切られた家か、ひろびろ開放感のある家かと言われたら、やっぱり開放感を取るかな」と言います。
彼女も友達を大量に家に呼んでパーティーをするのが大好きなので、20人でも呼べる空間は自分の個室を諦めてでも捨てがたいようです。

娘の机は私の机と一続きになっていて、そこに彼女の私物やら秘密のものやら?がごっちゃとおいてあります。
手を伸ばせば何でも見られます。鍵のかかった引き出しはありません。
でも私は別に彼女の不在の時に勝手に机を捜索しないし、彼女もそれを知っています。だから平気なんでしょうね。
私は、娘の様子を観察すれば彼女の状態が大体わかるので、ちょっとカマをかけるとボロボロ言葉を引き出していけます。
これは、医師としてたくさんの患者さんに接していることも関係しているのかもしれませんが、そもそも親というものはそういうものなのではないかな、と思うのです。

患者さんの親御さんと話していると、子どもの留守中に子どもの個室を激しく家宅捜索しています、という話がかなり高頻度で出てきます。
私はびっくりしてしまうのですが、親御さんは当たり前のように「だって心配じゃないですか!子どものことを知りたいと思うのは当然です!」と言うのです。
知りたければ、言葉で聞き出そうよ、と思うのですがそういう親子の間にはほとんど会話がないようで。
きつい言い方ですが、こんな家庭では「人を信じる・敬う」人間形成はハナから無理だよね、と思います。
心配、という言葉を盾に子どもの人権侵害をしている親が多いなと思います。
いつもいつも言っていますが、人権意識は人を信じる・敬うことから形成されるのだと思います。

まあ、子ども部屋の是非について私はどうこう言うつもりは全くありません。
うちは延床面積が小さいので作れなかっただけですし(笑)。
ただ、モノより前に子どもに与えるべき「目に見えない財産」がうまく与えられていない子どもに、どんどんモノだけ与えてもねえ・・とは思ったりしますね。
皆さんのおうちはどうでしょうか。

先日いわきの親戚宅で庭に出現した野生のタヌキ(本文とは全く関係ないです!)
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