ブログ「子育て科学日記」

「妄想」の意義について

最近、小学校の夏休みが短くなってきているのをご存じでしょうか。
昔は8月31日までしっかり休みだったはずなのに、最近は8月最後の週からしっかり授業が始まったり、7月いっぱいは「補習」があったりする学校があります。
また、以前は6月など学校の授業期間に行っていた林間学校なんかも夏休みに行う学校もあるようです。

まず間違いなく「学力低下」を補う措置だと思うのですが、素朴な疑問が起こってしまうのは、「夏休みを短くすると子どもたちの学力って本当に上がるの?」ということです。
こんなことを言ったら教育委員会や学校の関係者に怒られそうですが、私自身は今まで生きてきて、「学校で学力を上げてもらった」という記憶がほとんどありません。

もちろん「知識」を増やす目的としての学校の存在意義は大きいと思っています。学校に行かなかったら九九も覚えなかったし、漢字だって書けなかったと思います。
でも、「学力」となると、私は「?」になるのです。
学力の大部分は論理思考力と処理速度や短期記憶によって左右されると思うのですが、これを学校で鍛えてもらった記憶があまりない・・・
私に関して言えば、小学校はごくごく普通の公立校で、授業は教科書に沿って特に工夫も応用もなく普通に進行していたと思いますし、受験して入った女子私立一貫校は、その当時付属している大学に進学する子がほとんどですから、受験指導もなく、英語以外の授業の内容はたぶん普通かそれ以下。
特に理系科目については、物理も数学IIIも学校ではちゃんと教えてもらった記憶はありません。

で、私は生涯一度も塾に行ったことがありませんから、それなりに中学や大学医学部の入試をクリアできたのは、まぎれもなく「自学自習」の成果だと思います。
「受験しよう」と決意したときから、参考書を読む。問題集を解いてみる。年表などにまとめてみる。
そういうことを繰り返して、いつしか「過去問」が少しずつ解けるようになってくるわけで、むしろこのプロセスをつつがなく進めるためには、いかに家にいる時間をたくさん作るかがとても大切だったように自分では思います。

こう書くと「自分で自発的に出来る人はいいのよねえ。問題はそれができない子なのよ。だからうちの子は学校や塾でおしり叩いてもらわないと。」と多くのお母さん方に言われそうですよね。

「自発的に学習できる子」さえ作れれば、たぶん問題ないわけですよね。
でもそこで、「自発的に学習できる子」を学校や塾で作ろうとする、というのが、学力低下の発症のもとだと私は強く言いたいんです。

私自身は「妄想力」と呼んでいますが、脳は「ぼうっとしているとき」にも活発に動いています(これは脳科学的に証明されてます。default mode networkといいます)。実はこの時間こそが子どもの脳を発達させる、という考え方も一部にあります。
だって、ぼうっとしているときには脳の中にあるいろんな記憶が時系列を無視して交錯し、現れては消え、その繰り返しの中から「お?これはこういうことか?」という発想が生まれるのですから。皆さんにもきっとそんな経験があると思いますよ。

今の子どもはぼうっとできません。
いつもお母さんが見張っているし、それでなくてもそれこそ分刻みのスケジュールで塾におけいこごとに駆り出されているし、家でもテレビが常についていてゲームやPCも誘惑してくる。
だからいつも何か刺激が入っているし何かしなければならない状態です。

自慢じゃないけど、私は子ども時代は転校ばかりで友達もいないし、家ではテレビもついてなくて静かだし、塾にも習い事もないので、家に帰ってきたらぼうっとし放題でした(笑)。
大体は庭や野原で生物を探し飽きたらぼうっとし、家に入れば本を読んで飽きたらぼうっとし。
親は仕事で忙しかったので、常々ぼうっとして過ごしていました。
どうでしょう。皆さんは自分の子がそんな状態だと「友達を作ってあげなきゃ。何かさせなきゃ。親が話相手になってあげなきゃ。」って焦るんじゃないでしょうか。

今日からは、ぼうっとしている子どもをみたら「おお!脳が活発に活動して発達中だ」と思ってください。
そしてできるだけ子どもがぼうっとできる時間をつくるべく、工夫をしてみてください。
それが学力アップにつながる、かも。
もちろん、大人もです。
ゴールデンウイークでお休みがもらえると、どうもどこかにてくてく出かけることを画策しがちですが、たまにはじっくり静かな(これが肝心、テレビもPCも消して)お部屋でぼうっとしてみるのもとても良いことですよ。
案外素晴らしい仕事のアイデアが浮かぶかも。

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