心配なんです
2-3歳の高熱を出して意識も朦朧としている子どもをかかえたお母さんと全く同じような顔をして思春期の不登校の子を持ったお母さんは「子どものことが心配なんです」と言う。私はこの言葉を聞くと、とても悲しくなる。なぜなら「何故心配なのか?」をつきつめて問答を進めていくと、必ず「このままではきっとこの子はずっと学校に行けず、人生の落伍者になってしまう。この子はそうなるに違いないから。」という言葉が浮かんでくるからだ。この言葉の裏にあるのは、強い強い「わが子への不信感」である。こうやってこのお母さんは常に自分の子どもを「心配」というベールに隠した「不信感」満載で見つめてきたのかなあ、と思うと、その子どもがとても気の毒になってしまう。思春期に差し掛かった、ということは、その子どもは「人格確立」の最終ステップに入ったということだ。それまでに形作られてきた人格の大枠は、親との関わりの中から生まれてきたものである。その親が、常に自分のことを全面的に認め、信頼してくれなかった代償は大きいのである。そういう風に育てられた子どもたちは、押しなべて自分をうまく確立できず、自分に無条件の自信も持てない。そんな、人間の芯の部分の形成がうまくいっていない子どもが学校という集団のなかで不安で不安でいたたまれない気持ちになるのは当然といえよう。それでなくても自分というものを尊大に見せたいけれども実質が伴わないというジレンマでいらいらする思春期の子どもに、「あなたは信頼するに値しない人間である」というメッセージを親が与え続けることが、どれほど子どもを追い詰めることか、想像をしてみてほしいな、と思うのである。「学校に行けなくてもあなたなら大丈夫。あなたの人格は学校が認めるものではない、私が認めるから。」と言ってあげられる親を持つ子どもは本当に幸せだろうと思う。