ブログ「子育て科学日記」

大人の立ち位置

昨日、大学の卒業論文発表会があって、今年も悪戦苦闘の一年間の学生の指導が終わりました。いつも学生達からたくさんのことを学ばせてもらってます。特に、「育てる」って、とか「教育」って、とか基本的なことを一番学ぶのは何を隠そうこの卒論指導からで・・

はっきり言って私が求めるものは高いし、正直教育学部の学生達にはハードル高すぎかもしれない。時には泣きながら取り組んでるのもわかってます。
でも、できるんですねこれが。
毎年必ず落伍者無くきちんとした結果を出し論文発表をして卒業していくんですね。
それは、間違いなく私の力ではなくて(!)、実は、とことん追い詰められたゼミ生同士がお互いにコミュニケーション力と論理力を高めあうことによるんです。

私は、媚びないし迎合しないので、学生達にとっては共通・共有の敵です。
最初は、進んでいる子が他の子を無視して自分一人で自分のことだけ進めていっていても、その子だけでは打倒できない強敵がこの私なわけで。
そうなると、進んでいる子は遅れている子の手を取り、真剣にその子の作業内容について考え、意見を言う。遅れていた子もその指摘によって自分のやっていることがより明快にわかってくる。
グループで結託することにより、何とか私を満足させよう。褒めてもらおう、あるいはギャフンといわせよう、と同じ目標に向かって進み出すんですね。
そして、結局気がつくと、自分の卒論の内容のみならず、他のメンバーの内容も自分がやったかのように100%理解し考えることができるようになっているのです。

これが、彼らが飛躍的に伸びる原因なんだと思います。
ここから私は多くのことを学びます。
以前も書きましたが「子どもが大好き!」とか「子どものお友達のようなお母さん(教師)になりたい」というのは本当の意味で子どもを伸ばす大人のかかわりではない、と思うのです。
あくまで子どもと関わる大人は子どもとは距離があるべきだし、子どもが手を伸ばしても届きそうで届かない。
子どもにとって「憧れ」であったり「なにくそ」であったり。
決して同じ位置でいることがない、ということが大事なんではないかと。
それにより、同じ位置にいる子ども達の結託ができコミュニケーションができ、高めあいが生まれてくると私は信じます。
そして、実はどんな子にもその能力があることが、大学生の指導をしていると確信できるんですね~

親が、教師が、「可愛くて仕方ないから」かゆくも無いところまで掻いてあげるようなかかわりって・・・・・結局子どもをダメにしているのでは??と思ったりしています。

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