ブログ「子育て科学日記」

子どもの個体識別

私がやっている仕事の中で関わる子どもたちは、ひとりひとり全く違った個性を持ち、全く違った成育環境を持っていて、さらにはその子どもをとりまく複数の大人たち(親や祖父母たち)や子どもたち(同級生や兄弟など)まで全く異なるので、それこそ本当にケースバイケース、個別に対応を考えなければいけない、ということが常識です。

ある知り合いが先日、小学校5年生の子どもが通っていた個別指導の塾を辞めさせたという話をしてくれました。
その理由を聞いてみると、「子どもを固有名詞で呼ばない先生だから」だそうです。もう1年あまり通っているのにいまだにその子に話しかけるときには「君」、保護者であるその知人との面談の際には「息子さん」としか呼ばない。
別に彼のことだけではないようで、他の生徒もみな「あなた」「お嬢さん」と言ったりするようなのですが、友人はいつもその呼称を聞くたびに「子どもたちは商品として扱われているんだな」と感じてしまうそうです。

今、中学受験熱は特に関東圏では異常加熱しているようです。
塾もしのぎを削っているため「どこに何人入れたか」で塾の経営が大きく変わります。
そのためとにかく一校でも多く合格を取らせたいと、高々12歳の子どもに10校以上も、時には午前午後連チャンで受験させたりしているようです。
ここに子どもの「個」など存在するはずもありません。

ですから、知人の懸念ももっともで、とにかく「商品としての子ども」がどれだけ付加価値を付け会社に利益をもたらすか、のみに執着しているかのような塾の先生の態度に辟易したわけです。
(いやもしかするとその先生に関しては単に名前を覚えられないだけなのかもしれません。でも多分彼女はそれ以外にも多々感じるところがあったのでしょうね)

その子がとても性格が良く、動物好きの明るい子どもなのを私も知っています。飼っている動物の世話を毎日きちんとしたり、お母さんが忙しくて手が回らない時にはまだ幼い妹の面倒を見たりしているその事実は、塾に行った途端名前と同様、彼の個体識別に関しては全く意味を持たなくなる。
ただ、偏差値をいう基準でのみ選別される商品。

それに疑問を感じ、自ら子どもの力を信じて撤退したその知人に私は拍手を送りたいです。
(ちなみに、早寝早起きの生活をするためには塾は弊害こそあれ利点はないので、知人には家族みんなで早起きして朝に勉強するように勧めておきました!)

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