共有することの大事さ
昨日、私の大学で「イイトコサガシ」代表冠地情さんの講演会&ワークショップデモを行いました。
私が長を務めさせていただいている保健センターと昨年10月から立ち上がった学生支援室との共催で行ったのですが、学生たちもいつになく真剣・積極的で一般参加者の方からの質問も多数あり、とても熱く盛り上がった講演会でした。
もともと、勝手な私の思いつきで始まった今回の企画、結局はたくさんの大学スタッフや学生たちの準備と協力を得て実現に至りました。
午後1時半から始まって、最後に小グループでのワークショップ体験までおまけでつけていただき、大満足ですべてのプログラムが終わったのが夜の6時。それからみんなで撤収作業をしたのですが、その時の皆の表情がとても明るく生き生きしていたのが私は一番うれしかったです。
きっと、始まりの時には「ええ?なんでそんなことするの?」とか「また成田先生勝手に話決めて・・」とか思ってた人も少なからずいたと思うのですが、昨日、あの場で同じ空気を吸い、同じ言葉を聞き、参加者の熱心な姿を同じように見た、それで最後の片づけの時点では、一人の例外なく同じ顔をしていました。
共有するってそういうことなんだと思います。
冠地さんの話にも、繰り返し出てきた「共有・共感」するための言語的試行錯誤がコミュニケーション能力を引き出していくんだ、ということと見事に一致するし、脳科学的に言えば、五感から同じ刺激を受けることで、前頭葉で言葉が、文章が生み出され、それを共有する経験を積み重ねることで脳を鍛えていく、ということになります。
イイトコサガシが今とても必要なのは、発達障害のある人が増えているから、ではなく、発達障害がなくてもあってもとにかく今人間界では「共有する」ことがあまりにも少ない生活が蔓延しているからだと思います。
ここ2年ほど親子キャンプを主催しているのですが、キャンプって、親御さんや大学生たちにこそ最も効果的だなあと感じています。
他人と一緒に経験や言葉を共有して誰が変わるって、一番大人が変わるんですよ。
大人がまず「共有する」機会を持たなければ、子どもにそれを伝えられないのは当たり前ですよね。
冠地さんが「発達障害がある子どもにイイトコサガシを体験させたいけど、どうやって説得したらいいですか?」という質問に答えて、「まずはお子さんではなくて親御さんがイイトコサガシを体験して下さい。『あ~コミュニケーションって気持ちいいなあ』って親御さん自身が感じたら、その気持ちをそのまま子どもに伝えてください。そして一緒に体験して気持ちを共有していくことが一番おすすめです」っておっしゃってましたが、私もまさにそのとおりだと思います。
以前もこのブログのどっかで書いたことがありますが(子どもに伝えたいこと)、今子どもにおけいこ事をさせることが盛んですが、親御さんが「楽しい」を共有できるものなら構わないけれど、「私が苦手だからせめて子どもには英語をしゃべらせたい」とかいう発想はよくないなあと思います。
共有すること、これが家庭で頻回に行われていれば、子どもは自然にコミュニケーションを楽しいと思えるようになる、それは発達障害のあるなしには関係ないことですよね。
とはいえ、私の無茶ブリにここまで一生懸命についてきてくれた文教大学スタッフには、私は頭が下がる思いでいっぱいです。
皆さん!本当にありがとうございました。