心配と信頼
最近私は、子育ては親から見て「心配」と「信頼」でできていると考えています。イメージでいうと円グラフが二つに区切られ、一つの成分が「心配」もう一つが「信頼」。
こんな感じかな、とちょいとエクセルで書いてみました。
で、生後すぐはもちろん心配の成分がほぼ100%なんだけど、次第に信頼の成分が増えてきて、小学校頃には心配が60%、信頼が40%くらいかな。その後もぐんぐん心配の成分が減って、子どもが成人するときには心配は10%以下、後は信頼で円グラフはできている。
医学的にも、確かに幼少期は病気や事故に対する耐性も弱いので、大人に守られないと育つことができません。
でも、発達と共に免疫力も身体の頑強さも身についてくるので、もう中高生くらいになれば大人の手を借りることなく一人で生きていくことができるようになってきます。同時にこの頃には身体的なものだけではなく、脳機能も次第に発達してきます。だから、子どもはもはや親を頼らず一人で考え、行動を起こすようになるのです。それが「自立」というものであり、子育ての究極のゴール地点ですよね。
このように、子育てとは、子どもに対して親が「信頼」を築いていく作業、と言えるのではないかと私は思うのです。
だからできるだけ早く信頼に足る人間になるように親は、食事を与え、住む環境を整え、そして親の価値観、倫理観、人生観を子どもに語り伝え、教え込んでいくのでしょう。
しかしながら、度々ここでも書いているように、最近よく見るのは子どもが中高生や成人期になっても「心配」成分が多いままの親です。
子どもが「学校に行きたくない」、「○○ちゃんに嫌なことを言われた」、果ては「なんか人生って大変」とつぶやくだけで、もう平静を保てなくなってしまう。
そして「心配」を振りかざして学校や相談機関に駆け込み、親の考えを押し付け、子どもを守れと罵声を浴びせる。
子どもはもう成人期に近づいているにも関わらず、この親たちにとっては、子どもの円グラフは新生児状態で「信頼」成分が極めて低いんだろうなあ、と思ってしまいます。
で、子どもはどうなるかと言うと、親に信頼されていないことを実感する。
最も無条件に自分を認め信じてくれる存在であるはずの親に信頼されないということは、子どもにとってとてもきついことです。
社会に出ていく自信も、自分がやれる、という根拠のない尊大さも芽生えにくくなって、結果、引きこもりがちになってしまう。
こんな子どもたちを私は今まで何千人も診てきました。
お母さん、お父さん、お願いですから子どもが大きくなると共に子どもに対する「信頼」成分を上げてやってください。
「あなたなら大丈夫だよ。私がきちんと育ててきたもの。自分で良く考えてどうするか、決めていきなさい。もしどうしても解決できないなら、貴方が信じている家族以外の人に自分で相談しなさい」と言ってあげてください。
「なんでも親の力で解決してあげる、だって心配だもの」、と子どもの前に立ちはだかって守る行動は幼児期で卒業しましょうね。