ブログ「子育て科学日記」

「おべんちゃら」の効用

なんとなく、ではあるが、昔に比べて「おべんちゃら」を言う女の人が少なくなったような気がする。たとえば「まあ、ステキなコートねえ」とか「今日はなんか髪型がいつもより決まってるわね」とかそんなに強く思っていなくてもちょっと大げさ目にほめるだけで、人は心地よくなるものではないだろうか。みんな、自分や家族を守ることに精一杯で、人をほめることにまでなかなか気が回りきらないのだろう。でも、そういう手段を使って「人とうまく交わること」というのは、とても大事なことだと思う。 正直に言うと私も、本当の本心は人と交わることが苦手だ(だれも信じないが)。うまく関係がつくれなければどうしようという恐怖に似た不安をもつことは多い。職業柄(?)人の心を読むことが得意なので、つまらないなあ、この人、と思われることがいやで出来るだけ相手の興味を引きそうな話題を探る努力を無意識にしていると思う。その結果、人との話ははずみ、長引き、そして最後にどっと疲れる自分がいる。しかしこの努力や苦痛を乗り越えて交わることそのものが人を人たらしめているのかな、と最近は思う。 今は人と交わらない暮らしがいくらでも出来る時代だし、そういう暮らし方ならば、本当に思ってもいない「おべんちゃら」を潤滑剤にして関係性をつくる努力もいらない。しかし、潤滑剤のない暮らしはギクシャクと、特に思春期のガラス細工のようなもろい人間関係をひびだらけにしてしまう可能性がある。そういう生き方を選択させないように子どもを誘導するためには、親が率先して手本を見せるしかないのだろうと思う。

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